ウィリアム・スミス (地質学者)
| 生年 | 1769年3月23日 |
|---|---|
| 没年 | 1839年8月28日(満70歳没) |
| 研究分野 | 地質学 |
| 主な受賞歴 | ウォラストン・メダル(1831年) |
ウィリアム・スミス(William Smith, 1769年3月23日 - 1839年8月28日)は、イギリスの土木技師・地質学者である。イギリス本土の地質図を初めて作ったことなどで知られているが、その業績が認められたのは晩年に入ってからだった。
スミスはオックスフォードシャーのチャーチルという農村の鍛冶屋で、長男として生まれた。8歳で父親を失い、伯父の家で育てられた。1787年に測量士エドワード・ウェッブの助手として働き始め、短期間で仕事を覚えて独立した。
炭鉱の鉱脈調査、石炭を運ぶための運河の建設や農地の改良といった仕事を手がけながら、様々な地層やそこに埋まっている化石を観察した結果、スミスは地層累重の法則と示準化石による年代決定法(地層同定の法則)を編み出した。また、1799年にパース周辺の地層分布を記した世界最初の地質図を作成、更に1815年には、彼がこれまでの仕事を通じて観察してきた事象の集大成でもあるイギリス本土全域(イングランド、ウェールズ及びスコットランドの一部)の本格的な地質図を完成させた。そこでは、様々な地層区分の分布が、手作業で色分け(これは当時画期的なことだった)されて示されていた。
しかし、当時発足したばかりのロンドン地質学協会は下層階級の出身であるスミスの入会を認めなかったばかりか、彼の集めたデータを盗用して別の地質図を作る者までいた。スミスは次第に困窮し、1816年には長年かけて集めた化石のコレクションを大英博物館に売り渡した。1819年には不動産のローンが返済できなくなってロンドンのキングズベンチ債務者監獄に3か月近く収監された。
1820年代後半になるとようやくスミスは正当に評価されるようになった。彼自身は既に地質学の急速な発展から取り残されかけていたが、その発展の基礎を築いた業績によって1831年にウォラストン・メダルの第1回受賞者に選ばれ、「英国地質学の父」と称えられた。
1839年、スミスはバーミンガムで学会に出席した帰りに肺炎を患い、ノーサンプトンの友人の家で亡くなった。1808年頃に(正確な日時は不明)結婚したが子供はいなかった。甥のジョン・フィリップスを親代わりになって育て、彼も後に地質学者となった。
スミスが設計に関与した、大きな円筒形の展示棟を持つ旧スカーバラ市立博物館は、2007年9月にウィリアム・スミス地質学博物館としてリニューアルされた。
関連項目
参考文献
- サイモン・ウィンチェスター 『世界を変えた地図 : ウィリアム・スミスと地質学の誕生』 野中邦子訳、早川書房、2004年。ISBN 4-15-208579-7。
