労働党 (イギリス)
労働党 Labour Party |
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| 党首 | ゴードン・ブラウン |
| 成立年月日 | 1900年2月27日 |
| 所在地 | ロンドン |
| 上院(貴族院)(上院) | 未定 / 約700 (2010年3月17日現在) |
| 下院(庶民院)(下院) | 356 / 646 (2005年5月) |
| 政治的思想・立場 | 中道左派 民主社会主義 社会民主主義 「第三の道」 |
| 公式サイト | The Labour |
| シンボル | 赤 |
| 国際組織 | 社会主義インターナショナル ヨーロッパ社会党 |
労働党(ろうどうとう、Labour Party)は、イギリスの政党。
イギリスにおいて保守党と二大政党を形成している。社会主義インターナショナル加盟。
目次 |
歴史
- 1881年 社会民主同盟(SDL)が設立される。
- 社会民主同盟はマルクス主義政党で後に労働代表委員会に参加するも、労働党には不参加
- フェビアン協会にはジョージ・バーナード・ショーやH・G・ウェルズが参加していた。
- 1896年 独立労働党が設立される。
- 1900年 社会民主同盟、フェビアン協会、独立労働党の3団体と65の労働組合が参加して労働代表委員会を結成
- 1906年 労働代表委員会を議会政党に組織変更し労働党と改称。同年の総選挙で26議席獲得
- 1916年 デビッド・ロイド・ジョージによる挙国一致内閣で政権参加
- 1924年 自由党と連立しラムゼイ・マクドナルド政権誕生
- 1929年 総選挙で第一党となり第二次マクドナルド労働党単独政権成立。
- 1931年 世界恐慌に対する対応でマクドナルドが党と対立、離脱し、マクドナルド派、保守党、自由党との国民政府に変更
- 以降1935年までマクドナルドが国民政府首相。以降スタンリー・ボールドウィン、ネヴィル・チェンバレンと保守党党首に首相が交代した後も国民政府派は政権に参加。
- 1940年 ウィンストン・チャーチルの下で挙国一致体制。
- 1945年 総選挙で保守党に対し圧勝。労働党単独ではじめて過半数の議席を占有。クレメント・アトリーが首相となり初の安定単独政権。第一次アトリー政権
- 1950年 第二次アトリー政権(-1951年)
- 1955年 ヒュー・ゲイツケル、党首に就任(-1963年)。労働党内で穏健派が優勢に。後の政権奪回への布石となる。
- 1964年 第一次ウィルソン政権(-1970年)
- 1974年 第二次ウィルソン政権(-1976年)
- 1976年 キャラハン政権(-1978年)
- 1981年 党内の対立から穏健派の一部が離党し、社会民主党(のち自由党と合流し、現在は自由民主党)が結成される。
- 1994年 トニー・ブレアが党首に選出される。
- 1995年 臨時党大会において、生産手段の国有化条項の党綱領第4条が改正される。
- 1997年 総選挙で400を超える議席を獲得し圧勝。第一次ブレア政権成立
- 2001年 総選挙で議席数をほぼ維持。第二次ブレア政権
- 2005年 イラク戦争への反発などから総選挙で大幅に議席数を減らすが、過半数を維持。第三次ブレア政権。労働党政権としては最長の政権となる。
- 2007年 ゴードン・ブラウンが党首に選出され、ブラウン政権発足。
政策
社会民主主義政党として労働者の生活の向上を唱え、失業保険の充実、社会保障制度の整備などに努めてきた。労働党が行った福祉政策の方向性を指して、ゆりかごから墓場までと言う言葉が作られた。又アトリー内閣では石炭や鉄道、通信などの重要基幹産業の国営化を行った。ただしフェビアン協会の影響力などもあり党内でマルクス主義の影響力は弱く、キリスト教社会主義や社会改良主義の影響が強かった(英国社会主義)。また組織としては労働組合の組合員が事実上、自動的に労働党員となるなど、組合の影響力が非常に大きかった。
しかし、こうした福祉政策の充実と基幹産業の国営化は、植民地独立による「大英帝国」の没落とともに国家財政を逼迫させ、経済の悪化をもたらした。こうした状況を英国病と言った。優遇された労組の度重なるストライキにより社会が麻痺状態に陥った不満の冬(1978年~1979年)が、イギリス国民の労働党不信を決定づけ、労働党は18年にわたり政権から遠ざかることとなった。1980年代から1990年代中頃までの保守党政権、とくにマーガレット・サッチャー内閣にとってはこの英国病の克服は重要な課題であった。
サッチャー・保守党政権の下で新自由主義に基づく構造改革が進み、経済が回復する中、従来の福祉国家路線に拘り、労働組合に依存する労働党は一般有権者の支持を得られず、党勢の低迷が続いた。そこで、1994年に党首となったトニー・ブレアは既存の福祉政策でもサッチャリズムでもない、自由主義経済と福祉政策の両立を謳った「第三の道」路線を提唱し、労働組合の影響力を大幅に減らした「New Labour(新しい労働党)」をアピールした。これにより、保守党政権によって拡大した所得の格差に不満を持った人々や、長期政権に飽きていた有権者の支持を集めて、1997年の総選挙で大勝。以後、「福祉のニューディール」やスコットランド議会の再開などの地方分権が進められている。この「第三の道」路線はヨーロッパの他の社会民主主義政党にも大きな影響を与えた。
一方、対テロ戦争でのアメリカ追随の姿勢には、閣僚の中からも批判の声があがり、支持率が低下。保守党が若手のデービッド・キャメロンを党首に選出して変化をアピールしたことなどから、統一地方選で労働党は敗北し、ついには保守党に支持率で10%もの差をつけられるまでに陥った。このため、2006年9月には2007年秋までにブレアが首相・党首を辞任する意向であると発表された。
2007年5月、ブレアは正式に退陣を発表し、6月の臨時党大会で財務大臣のゴードン・ブラウンが後継党首に選出された。6月27日にブレアは首相を辞任、ブラウンが新首相に就任した。なお、ブラウンが党首になった時点での世論調査では労働党の支持率が回復し、保守党を上回っている。
歴代党首
太字は首相経験者。
- ケア・ハーディ 1906年-1908年
- アーサー・ヘンダーソン 1908年-1910年
- ジョージ・ニコル・バーンズ 1910年-1911年
- ラムゼイ・マクドナルド 1911年-1914年
- アーサー・ヘンダーソン 1914年-1917年
- ウィリアム・アダムソン 1917年-1921年
- ジョン・ロバート・クラインス 1921年-1922年
- ラムゼイ・マクドナルド 1922年-1931年
- アーサー・ヘンダーソン 1931年-1932年
- ジョージ・ランズベリー 1932年-1935年
- クレメント・アトリー 1935年-1955年
- ヒュー・ゲイツケル 1955年-1963年
- ハロルド・ウィルソン 1963-1976年
- ジェームズ・キャラハン 1976年-1980年
- マイケル・フット 1980年-1983年
- ニール・キノック 1983年-1992年
- ジョン・スミス 1992年-1994年
- マーガレット・ベケット 1994年(スミスの急死による臨時職)
- トニー・ブレア 1994年-2007年
- ゴードン・ブラウン 2007年-
関連項目
外部リンク
- The Labour(公式サイト)
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