朝鮮の歴史
朝鮮の歴史(ちょうせんのれきし)では、朝鮮及び朝鮮半島における歴史を述べる。
目次 |
概観
[要出典]
先史時代
(考古学的な実証ある事項はここに記す。)
考古学的知見は新事実の発見や分析の発展で変遷する事がある。以下の記述は、現時点でわかっている内容である。
古朝鮮時代
(考古学的考証の無い伝説的な事項はここに記す)
古代の朝鮮半島
衛氏朝鮮は三代衞右渠の時に漢の武帝に滅ぼされ、その地には漢の四郡(真番・玄菟・楽浪・臨屯)が設置された。
- 原三国時代(BC108 - 4世紀中葉)
- 三国志東夷伝に記述された区分(3世紀ごろ)。()内は現在の行政区分に大まかに当てはめたもので、確定的なものではない。
- 三国時代(4世紀中葉 - 676年)
- 南部の三韓は、馬韓諸国のなかの伯済が百済に、辰韓諸国の斯盧が新羅となり、弁韓諸国は統一した政権を形作ることなく伽耶諸国となった。伽耶諸国はその時々の状態から「六伽耶」「浦上八国」「任那十国」などという名でも記され、その領域の所有を巡って百済と新羅とが争ったが、最終的には6世紀中頃に新羅に吸収された。耽羅は5世紀末に百済に服属し、百済が滅びた後は新羅に服属した。于山国は6世紀初めに新羅に服属した。
- 伽耶諸国の呼称については、新羅においては伽耶・加耶という表記が用いられ、中国・百済・日本(倭)においては加羅あるいは任那と表記されることが多く、広開土王碑文には「任那加羅」という並列表記も見られる。日本の学界ではかつては任那という呼称が支配的であったが、1980年代後半からは「伽耶諸国」と呼ばれることが一般的となっている。伽耶諸国の地域(半島南部)と当時の日本(ヤマト王権)との関係については、近年の考古学的研究でも疑問視されているのが実情である。詳細は伽耶・任那を参照。
- 唐と連合して百済・高句麗を相次いで滅ぼした新羅が半島の単独政権となったのは668年である。676年には唐は朝鮮半島支配を放棄して引き上げ、大同江以南の地は新羅の統一的支配がなされることとなった。
- 統一新羅 (676年-935年)- 初めての統一政権
- 渤海(698年-926年)- 韓国・北朝鮮において高句麗の滅亡後、遺民らが建国したとされている国家。詳細は南北国時代を参照。
- 後三国時代(892年 - 936年)
中世の朝鮮半島
- 高麗
- 918年、後高句麗の豪族の王建が新羅を滅ぼして王位を簒奪し、高麗を建国する。
- 933年、後唐の冊封を受ける。
- 935年、新羅の敬順王、高麗に国を譲渡し、ここに新羅滅亡す。
- 936年、後百済を滅ぼし朝鮮半島統一。
- 976年、田柴科制の創設。
- 1010年、契丹の侵入を撃退。
- 1018年、契丹の再侵入。姜邯賛の活躍により契丹軍を殲滅(亀州大捷)。
- 1033年、高麗の長城の建設開始。
- 1095年、李資義の乱。
- 1126年、李資謙の乱。 金に服属。
- 1135年、妙清の乱。
- 1170年、庚寅の乱。以後武人政権が続く。
- 1196年、崔忠献によるクーデター。崔氏政権の始まり。
- 1232年、モンゴル帝国の侵略始まる。
- 1259年、モンゴル帝国(元)に屈し、属国化。皇帝の娘婿の国になる。
- 1270年-1273年、武人派の軍隊三別抄の反乱。
- 1274年・1281年、元の2度の日本侵攻(元寇)への協力と出兵により甚大な被害をこうむる。
- 1350年、この頃より倭寇に悩まされるようになる。(「前期倭寇」~15世紀前半)
- 1351年、恭愍王即位(~1374年)
- 1354年、共愍王による反元運動が始まる。
- 1356年、元軍が高麗から撤退(双城摠管府を回復)
- 1365年、辛盹による改革政治(~71)
- 1374年、恭愍王が暗殺される。禑王が即位(~88)
- 1388年、親明派の武将李成桂がクーデターを起こし実権者になる(威化島回軍)。
- 1391年、科田法の制定。
- 1392年、鄭夢周が暗殺される。
近世の朝鮮半島
1882年7月の米海軍省(Navy Department)発行の出版物"Flags of Maritime Nations 1882"に収録された太極旗(レプリカ)。最も古い部類の太極旗といわれる。
- 朝鮮国時代(朝鮮王朝・李氏朝鮮)
- 1392年、李成桂が高麗の恭譲王から王位を簒奪し、高麗王に即位。明より権知高麗国事として認められる。
- 1393年、李成桂が権知朝鮮国事に冊され、国号が朝鮮となる。明の皇帝から、新たな国号を「朝鮮」と「和寧」の2案から選んでもらうという形式的手順を踏んだ。
- 1398年、第一次王子の乱。
- 1400年、第二次王子の乱。
- 1404年、室町幕府と国交回復、日朝貿易盛んとなる。
- 1418年、太宗が譲位して、世宗が即位(~1450)
- 1419年、倭寇征伐を理由として対馬に遠征する(応永の外寇)。
- 1443年、訓民正音の制定(1446年公布)。
- 1453年、癸酉靖難。首陽大君(のちの第7代国王・世祖)による政権奪取。
- 1456年、丙子冕獄(死六臣が処刑される)。
- 1466年、職田法の制定。
- 1467年、李施愛の乱。
- 1468年、世祖が崩御し睿宗即位(1469年に崩御)。南怡の謀叛事件が起こる。
- 1474年、成宗の治世に『経国大典』頒布(1485年に施行)。
- 1498年、士林派に対する弾圧が始まる(戊午士禍)。
- 1504年、甲子士禍が起こる。
- 1506年、燕山君がクーデターにより失脚し、中宗が即位(中宗反正)。
- 1510年、在朝日本人の貿易活動等を統制したため、3港で日本人と援軍の宗軍による暴動が起こる(三浦の乱)。
- 1519年、己卯士禍が起こる。(趙光祖の改革政治が挫折)
- 1545年、仁宗崩御(在位1544年-1545年)。明宗即位。乙巳士禍が起こる。
- 1555年、備辺司設置。
- 1559年-1562年、林巨正の乱。
- 1567年、宣祖即位。勲旧派の終焉。以後、士林派同士の対立が続く。
- 1575年、東人・西人の党争の始まり(乙亥党論)。陶山書院建立。
- 1589年、鄭汝立の乱。
- 1592年-1598年、豊臣秀吉の2度の朝鮮侵攻(文禄・慶長の役 - 韓国では「壬辰倭乱・丁酉再乱」と呼ぶ)で、全国土が戦乱の被害をうける。
- 1607年、朝鮮より回答兼刷還使が来日(→朝鮮通信使を参照のこと)。
- 1608年、京幾道で大同法を実施。
- 1609年、李氏朝鮮と対馬の宗氏との間で己酉約条(慶長条約)が結ばれ、貿易が再開される。
- 1613年、七庶の獄。
- 1615年、申景禧の獄。
- 1616年、光海君の明・金中立外交。
- 1619年、サルフの戦い。
- 1623年、仁祖反正で光海君廃位。
- 1624年、李适の乱。
- 1627年、丁卯胡乱。
- 1636年、清のホンタイジが朝鮮に親征(丙子胡乱)。朝鮮国王仁祖、南漢山城に篭城。
- 1637年、仁祖降伏(三田渡の降伏)。明に替わり、清の皇帝を認める(大清皇帝功徳碑)。
- 1660年、己亥礼訟。
- 1674年、粛宗即位(在~1720年)甲寅礼訟により、南人が政権を握る。
- 1680年、庚申換局。
- 1683年、西人が老論と少論に分裂。
- 1689年、己巳換局。
- 1694年、粛宗の治世に甲戌の獄起こる。
- 1701年、巫蠱の獄(張禧嬪が賜死)
- 1712年、白頭山に定界碑を建立。
- 1716年、丙申処分
- 1721年-1722年、景宗の治世に、壬寅の獄起こる(辛壬士禍)。
- 1724年、英祖即位(在~1776)
- 1728年、李麟佐の乱。
- 1762年、英祖の治世に荘献世子事件起こる。精神を病んだ荘献世子が異常な行動を取り、王命により米櫃の中に閉じ込められ、餓死する。
- 1784年、李承薫が天主教の書籍を持ち込む。
- 1791年、辛亥邪獄。
- 1796年、正祖による水原城(華城)建設。朝鮮後半の全盛期。
- 1801年、辛酉邪獄。
- 1804年、 純祖の治世、安東金氏による権勢政治( - 1863年)。士林派の終焉。
- 1811年、洪景来の乱(地方差別に反発した一揆)。
- 1863年、哲宗崩御。高宗即位。大院君政権の成立。
- 1866年、ジェネラル・シャーマン号事件。キリスト教徒の弾圧(丙寅教獄)。フランスは抗議のため、軍艦・兵士を派遣し、江華島の一部を占拠(丙寅洋擾)。
- 1868年、オッペルト事件。
- 1873年、大院君追放、閔妃を中心にした閔氏政権の成立。
- 1875年、江華島事件。日本が朝鮮との国交通商を要求し武力示威した事件。
- 1876年、明治新政府と日朝修好条規を結ぶ。
- 1882年、米朝修好通商条約。壬午軍乱(壬午事変)起こる。中朝商民水陸貿易章程を結ぶ。
- 1884年、甲申政変(甲申事変)、開化派のクーデターは失敗に終わり、事大派の勝利となる。
- 1885年、巨文島事件。
- 1894年、東学党の乱(甲午農民戦争)。大院君派と閔妃派の対立が深まる。日清戦争で陸上戦闘の主戦場となる。甲午改革(~1896年)。
- 1895年、下関条約成立。朝鮮が独立国であることを確認。朝鮮国から清国に対する貢・献上・典礼等は永遠に廃止される。親露反日政策をとった閔妃(明成皇后)が 日本軍守備隊や警察、訓練隊等により殺害される(乙未事変)。三浦梧楼の指揮によって殺害されたとする説が一般的だが、他方日本の保守派・右派の間では、それについて確認がとれていないことを強調する立場もある。
- 1896年、露館播遷(~1897年2月20日)。
近代
- 大韓帝国 1897年-1910年(日本の保護国の時期 1905年-1910年)
- 1897年、日清戦争(1894年-1895年)の清の敗北を受けて締結された下関条約により、朝鮮は清の冊封体制から離脱し、朝鮮国から大韓帝国と国号を改める。
- 1904年8月23日、第一次日韓協約を結ぶ。
- 1905年7月、高宗のロシア帝国への密使が発覚する。
- 1905年7月29日、桂・タフト協定。韓国には日本が、フィリピンにはアメリカ合衆国が影響力を持つと、相互に認め合う。
- 1905年11月17日、第二次日韓協約を結ぶ。外交権を失い、日本の保護国となる。
- 1906年、韓国統監府設置。
- 1907年、国債報償運動。ハーグ密使事件。高宗が退位し純宗が即位。第三次日韓協約。内政権が日本の管轄下に入る。韓国軍の解散が定められる。
- 1909年、韓国統監府初代統監伊藤博文がハルビン駅にて安重根により暗殺される。朝鮮と清の国境が定まる(間島協約)。
- 日本統治時代(日帝強占期)
日本統治時代の個別の項目については、朝鮮総督府、土地調査事業、朝鮮会社令、皇民化政策、創氏改名、慰安婦を参照
- 1910年、日韓併合条約を結び、大日本帝国に併合される。京城に朝鮮総督府が設置される。
- 1919年、三・一独立運動。
- 1920年、満州東部の間島で独立軍 (朝鮮)の抗日武装闘争が激化。
- 1937年10月2日、皇国臣民ノ誓詞が発布される。
- 1941年12月8日、大日本帝国がアメリカ合衆国に宣戦布告。(大東亜戦争勃発)
- 1944年、朝鮮徴兵令施行。
- 1945年8月8日、ソビエト連邦が日本に宣戦布告。ソビエト連邦軍が朝鮮半島東北部に侵攻。
- 1945年8月14日、北緯38度線で朝鮮を分割し、日本軍を分割武装解除することを内容とする「一般命令第一号」を、トルーマン米大統領がソビエト連邦に通告。ソビエト連邦も命令内容に同意した。
- 大韓民国臨時政府
現代
※連合軍軍政期には「北朝鮮」及びに「南朝鮮」との表記が出現するが、この時代における「北朝鮮」はソビエト連邦軍政下の朝鮮地域を、「南朝鮮」はアメリカ軍政下の朝鮮地域を意味する言葉として用いられている。
- 連合軍軍政期
- 1945年8月15日、第二次世界大戦で大日本帝国敗北。朝鮮半島での日本の植民地支配終了、連合軍の管轄になる(北緯38度線以北をソビエト連邦軍が、同以南をアメリカ軍が管轄)。
- 1945年9月6日、南側で呂運亨らによって結成された「朝鮮建国準備委員会」、「朝鮮人民共和国」樹立を宣言。
- 1945年9月8日、ホッジ中将の米第24軍団第一陣、仁川に上陸。9日、朝鮮総督府が降伏文書に調印。
- 1945年9月11日、アメリカが在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁を宣布。
- 1945年10月、アメリカが「朝鮮人民共和国」および「朝鮮建国準備委員会」を否定する。
- 1945年10月、北朝鮮共産党臨時人民委員会樹立。
- 1945年12月、モスクワ三国外相会議。最高5年間、朝鮮を信託統治することを決定。
- 1947年2月、北朝鮮人民委員会樹立。
- 1948年4月3日、済州島四・三事件が起こり、多数の済州島民が日本に密入国する。
- 1948年、米ソ両国が、南北にそれぞれ自国の傀儡政権を立てる(8月15日に南側で「大韓民国」(韓国)、9月9日に北側で「朝鮮民主主義人民共和国」(北朝鮮)樹立宣言)。なお、実際に大韓民国が樹立したのは1948年8月13日である。※「朝鮮民主主義人民共和国」については、本記事では以後「北朝鮮」と記す。これについては、呼称問題についての暫定合意を参照のこと。
- 朝鮮戦争(韓国では「韓国戦争」「韓国動乱」「六二五事変」、北朝鮮では「祖国解放戦争」と呼ばれる内戦。)
大韓民国(韓国)
韓国現代史年表も参照
- 第一共和国
- 第二共和国
- 国家再建最高会議(軍政)、第三共和国、第四共和国
- 第五共和国
- 第六共和国
朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)
- 金日成体制(1945年 - 1994年)
- 1949年、南北朝鮮の主要政党団体の集結により、「祖国統一民主主義戦線」が結成される。
- 1949年6月、朝鮮労働党成立。金日成が中央委員長に就任。
- 朝鮮戦争後、金日成が朴憲永などを粛清。
- 1956年4月、朝鮮労働党第3回大会開催。
- 1956年8月29日、ソ連派のパク・チャンオク、延安派のチェ・ジャンイクなどが金日成に粛清される。
- 1958年8月、社会主義制度が確立される。
- 1961年9月、朝鮮労働党第4回大会開催。
- 1968年1月23日、プエブロ号事件。
- 1970年11月、朝鮮労働党第5回大会開催。
- 1972年7月4日:大韓民国と同時に南北共同声明(七・四共同声明)を発表。
- 1972年、金日成の反勢力粛清が完了し、朝鮮民主主義人民共和国社会主義憲法が制定される。
- 1973年、金日成の後継者問題が浮上。金正日が政治の表舞台に出始める。
- 1977年、「朝鮮民主主義人民共和国社会主義憲法」における国家の公式理念が、マルクス・レーニン主義から主体思想に変更される。
- 1980年10月、朝鮮労働党第6回大会開催。
- 1987年1月、第3次7ヵ年計画(事実上最後の経済開発計画)の遂行に着手。(1993年に未完遂で終わる。)
- 1989年7月、平壌で第13回世界青年学生祭典が開催される。
- 1991年9月17日、国際連合加盟(大韓民国と同時加盟)
- 1994年7月8日、金日成死去。
- 金正日体制(1997年 - 現在)
- 1998年、弾道ミサイルテポドン1号発射。
- 2000年、韓国の金大中大統領との初めての南北首脳会談を実施。6.15南北共同宣言を発表。
- 2002年、日朝首脳会談、日朝平壌宣言。日本人拉致の事実を認めて拉致被害者5名を日本に帰国させる。
- 2004年、日本人拉致被害者の遺骨を返還。日本側が遺骨の正式調査を行い、他人の遺骨だと発表するが、北朝鮮側はこれに反発。
- 2004年12月9日、日本からの人道支援の残りの15万5000トンが停止される。
- 2005年2月11日、核兵器製造・保有を公式に認める。
- 2006年7月5日、日本海に向けて弾道ミサイルを7発発射。7発とも日本海に着弾。
- 2006年7月15日、国連安全保障理事会が決議第1695号を採択。
- 2006年10月9日、核実験実施を発表。
- 2006年10月15日、国連安全保障理事会が決議第1718号を採択。
※並列して存在する国は、数字リストをつけた。
関連項目
- 朝鮮の君主一覧
- 儒教
- 両班
- 白丁
- 奴婢
- 印綬
- 迎恩門
- 一進会
- 大韓民国の大統領
- 国務総理
- 日韓関係史概観
- 歴史書一覧
- 朝鮮通信使
- 大清皇帝功徳碑
- シーフェルト条約
- 百済考古遺跡
- 日清戦争
- 下関条約
- 韓日合邦を要求する声明書
- 日鮮同祖論
- 事大主義
- 対日有害活動
