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新潟総合テレビ

新潟総合テレビのデータ
英名 Niigata Sogo Television,Inc.
放送対象地域 新潟県
ニュース系列 FNN
番組供給系列 FNS
略称 NST
愛称 NST
呼出符号 JONH-(D)TV
呼出名称 デジタル:NSTにいがた
デジタルテレビジョン
アナログ:にいがたそうごうテレビ
開局日 1968年12月16日
本社 950-8572 新潟県
新潟市中央区八千代二丁目3番1号
演奏所 本社と同じ
アナログ親局 新潟 35ch
ガイドチャンネル 35ch
リモコンキーID 8
デジタル親局 新潟 19ch
主なアナログ中継局 #チャンネル参照
主なデジタル中継局 #デジタルテレビ参照
公式サイト 公式サイト
特記事項:
開局当初はFNN・NNN・ANNのクロスネットだった。
  

株式会社新潟総合テレビ(にいがたそうごうテレビ、Niigata Sogo Television Inc.)は、新潟県放送対象地域とする放送局テレビ局)。略称はNST。コールサインはJONH-(D)TVフジテレビジョンキー局とするFNNFNS系列のテレビ局である。キャッチフレーズは「もっと、いい夢。」。デジタル放送のキャッチフレーズは「デジたりあん」。

目次

概要

1968年12月16日開局。新潟県内で2局目の民間放送局で、県内初のUHFテレビ局である。

新潟県に2局目の民放テレビ局のチャンネルプランが発表された際、フジテレビなどフジサンケイグループ日本テレビなど読売新聞グループ、NETテレビ(現テレビ朝日)など朝日新聞グループをはじめ、複数の免許申請が出されたが調整により一本化され、3社が相乗りする形で会社を設立。トリプルクロスネットであったことから、社名には“総合”の名称がつけられた。なお、現在はフジテレビ系列のフルネット局のため、“総合”の意味合いはほとんどなくなった。

開局当初は「楽しいテレビNST」というキャッチフレーズを掲げ、PRを図った。また初のUHF局であったことから、開局前には県内各地で催事が行われる折に、UHFコンバーターの普及促進活動を行っていた。クロスネット当時は、上記3局に加えて東京12チャンネル(現テレビ東京)の番組も購入して放送しており、実に4局の番組が混在する状態が続いていた。しかし一方、自社制作番組の割合が著しく低く、会社側も自社番組に関して非常に消極的な姿勢を見せていたことから、キー各局や県民から「新潟の局なのに、新潟のための番組を作らない」と痛烈な批判を受けた時期もあった。その後1981年4月にテレビ新潟放送網が開局し、まず日本テレビ系列を離脱。1983年10月に新潟テレビ21が開局してテレビ朝日系列も離脱し、フジテレビ系列のフルネット局となった。しかしNSTはそれ以後も、昼間や深夜時間帯にはフジテレビの番組よりもむしろテレビ東京の番組を主体とした編成体制を敷いていた。更にはフジテレビの日曜の競馬中継(現「みんなのケイバ」)も、フルネット化以後も新潟放送からネットチェンジせず、なおも自社制作率は低いままであった。CM制作やコマーシャル収入で大きな収益を上げつつも、番組制作や設備投資に対しては消極的なままで、これを巡ってフジテレビなどから強い批判を受けたことがある。

社長には、当時新潟県経営者協会会長の桜井督三(北越製紙社長)が就任。4年後の昭和47年に大光相互銀行(現大光銀行)の会長だった駒形十吉が就いた。駒形は長年大光相互銀行の社長を務めていた。後に子息の斉に社長の座を譲り会長に退くが、大光は1979年秋に乱脈融資事件が発覚し強制捜査を受けることとなった。更にこれを巡って大幅な債務超過に陥っていることが発覚。1980年春には上場廃止となり、これを引責する形で駒形一族は大光を追われた。こうして大光を追われる立場となった駒形だが、NSTの社長については個人大株主であったこともあり、そのまま留任し、1990年代半ばまで実権を掌握し続けた。NSTはかつて大晦日深夜(元日未明)にはフジテレビのネット受けを行わず、駒形自らの出演による10分間の「社長挨拶」を放映していたことからも、それが窺える。「ニュースJAPAN」等FNN全国ネットの最終ニュースのスポンサー全てローカルスポンサー、またはネットスポンサーの一部とローカルスポンサーの混在のいずれかであるのも、クロスネット時代にネットしていた「ANNニュースファイナル」がネットスポンサーとローカルスポンサーが混在していた事や、フルネット化後も駒形が「この時間帯のスポンサーになってくれる地元企業を大切にしたい」との意向から同時間帯のニュース番組の完全ネットスポンサー化を辞退した名残である。また、ローカルスポンサーついては提供読みで企業名を1社ずつ読み上げる場合が多い。

駒形は現代美術収集家としても知られ、大光やNSTの社内には「大光コレクション」と呼ばれる数多くの美術品が飾られていた他、大光は長岡市内に美術館も持ち(長岡現代美術館)、一般にもこれらコレクションを公開していた。しかしこの乱脈融資事件をきっかけに経営危機に陥った大光は、国や各地の金融機関から融資を受けるため現代美術館を閉鎖し、これら収蔵品の約半分が全国各地へ売却することとなった。その際、売却を免れた一部の作品は現在、同市の新潟県立近代美術館とNST長岡支社敷地内にある駒形十吉記念美術館に収蔵されている。

1990年代に入ってからは自社制作率は徐々に上昇し、フジテレビの番組の遅れネットも減少。2000年には新潟開催の中継と「スーパー競馬」のネットを開始、長年の腸捻転がようやく解消。2004年には本社を新潟市八千代に移転するなど、設備投資を積極的に行っている。2003年からは、新潟県内外で夢を追う人々を応援する「『Dreaming.』キャンペーン」を行っている。同年のCI導入に合わせ、前述のキャッチフレーズ「もっと、いい夢。」に因んで開始した企業キャンペーンで、「人と、人の持つ可能性を応援する」というコンセプトの下で繰り広げられている。

複数の放送局申請を調整し設立の行司役を田中角栄がしたことから、設立時には本社は新潟市、演奏所スタジオは長岡市でスタートし越後交通グループや田中真紀子ほか田中家一族らとも親密であった。さらにフジサンケイグループのネット局として設立され、また当時から現在に続くフジテレビのネット局であり親田中派といういきさつから保守系報道機関として知られる。

2008年4月まで新潟の民放4局のうち、NSTのみUHFアニメの放映実績が無かった(2008年5月からのまめうしくんが初放映。NSTも参入したことで新潟県下のすべての民放局でUHFアニメの放映実績を持つことになった。これは近畿広域圏中京広域圏を別にすれば愛媛県福岡県に続いて3番目)。一方でフジテレビ制作の深夜アニメ枠『ノイタミナ』のレギュラーネット局に途中から加わっている(2007年9月現在、三大都市圏以外のレギュラーネット局はテレビ西日本北海道文化放送のみである)。

2002年、その当時の新潟の本社の建物の老朽化と、後に開始される地上波デジタル放送に於けるハイビジョン化を視野に入れ、現在の新社屋の建設を決定。2004年10月に完成し、2004年10月20日から、本社機能を全てその新社屋に移転し、そこからの放送を開始している。この新社屋は全てハイビジョン放送に対応しており(県内では一番早かった)、省エネ設計の建築であるばかりか、屋上にはわずかだが太陽電池パネルまで取り付けられている。現在の新社屋に移転してからは、毎年そこで「NSTまつり」を開催している。新社屋に移動した翌年2005年は「Digital Dreaming.」をキャッチフレーズに、自社PRを展開していた。

地上波デジタル放送は、NHK新潟放送局BSNテレビと同じ2006年4月1日に本放送を開始。勿論、放送を開始する同放送のPRもサイマル試験放送開始前から行っていた。しかし、同局は既にハイビジョン及び地上デジタル放送に対応した新社屋に移動していたため、設備が社内に於いては既にほぼ万全の面では他局よりも非常に楽だった。それどころか、将来のハイビジョン化をにらみ、新社屋移動後から局のローカル看板番組である「スマイルスタジアムNST」では早くも一部コーナーでハイビジョンでの取材を始め、更に、サイマル試験放送開始後では直ぐに一部の報道取材をハイビジョン化するなど、ハイビジョン化に於いては、地上デジタル放送開始以前から新潟県の民放で最も積極的に取り組んでおり、既に2007年の時点では、「スマイルスタジアムNST」では取材部分まで全部ハイビジョン化されていた[1]しかし、ローカル番組のハイビジョン中継車を使った生中継では、自社がまだハイビジョン中継車を導入していなかったため、他社よりそれをレンタルするしかなく、まず、地上デジタル放送開始記念番組として新潟ビックスワンからのJ1リーグ「アルビレックス新潟VS名古屋グランパスエイト」のハイビジョン実況生中継を行ったが、ハイビジョン中継車のレンタル料金が余りにも高かったため、以後、それを使った番組制作は自粛せざるを得ない状況となる。しかし翌年、新潟テレビ21が、ローカル番組に於いて、新潟ビックスワンからのJ1リーグの生中継や高校野球の新潟県大会の準決勝及び決勝戦をハイビジョン実況生中継で行ったり、地上波デジタルテレビの大幅な普及も手伝い、2008年からは、「NSTみんなのケイバ」が、フジテレビのハイビジョン中継車の貸与と中央競馬の主催・スポンサーでもあるJRAの金銭面でのサポートもあり、当番組のローカル部分が全てハイビジョン化される様になった[2]

局のマスコットキャラクターは「ナシテ君」。他にガールフレンドとして「ドシテちゃん」、友達として「ロボッチョ君」がいる。

所在地

  • 本社・〒950-8572 新潟県新潟市中央区八千代二丁目3番1号 TEL:025-245-8181(総合案内)
  • 代表取締役社長・大橋武紀
  • 資本金・3億円
  • 郵便番号はNST専用。社用の他、視聴者プレゼントなど一般向けにも使用している。
  • 2004年10月初旬に完成した現在の本社は万代シテイに程近い、信濃川右岸(旧新潟鉄道管理局グラウンド跡)に位置している。

支社

  • 長岡支社・〒940-0033長岡市今朝白2-1-4

(開局当初は長岡が本社・スタジオ≪NST長岡放送センター≫。1991年10月に新潟が本社となる)

  • 東京支社・東京都中央区銀座3-9-11(フェニックスプラザ)
  • 関西支社・大阪府大阪市北区堂島浜1-1-8(堂島パークビル)
  • 東北支社・宮城県仙台市青葉区大町1-2-1(ライオンビル)
  • 上越支社・上越市西城町3-5-24(上越大同生命ビル)

関連会社

通信部

  • 佐渡通信部・佐渡市窪田538-1

チャンネル

アナログテレビ放送

  • 親局:35ch JONH-TV 弥彦送信所(出力=映像:30kW、音声:7.5kW。)
  • 中継局
中継局 ch 中継局 ch 中継局 ch 中継局 ch 中継局 ch 中継局 ch
高田 33 相川 58 小出 43 津南 57 松代 43 高柳 48
守門 61 関川 59 青海 43 三川 58 55 村上市府屋 43
村上市勝木 57 両津 44 高千 58 安塚 44 新井 57 村松 57
栃尾 58 塩沢 58 土樽 54 越路 57 新津 42 村上市村上 40
川口 44 大和 58 黒川 58 中里 34 鹿瀬 42 村上市朝日 43
早川 44 湯沢 44 糸魚川 33 津川東 51 湯之谷 27 六日町 61
外海府 27 下相川 43 牛野尾谷 57 川口大島 55 妙高高原 24 津南田中 27
津南上郷 34 津南中津 41 柏崎鯖石 57 柏崎山口 43 関川女川 44 小千谷真人 27
糸魚川大野 57

デジタルテレビ放送

親局、中継局共、リモコン番号は8である。

  • 親局:19ch JONH-DTV 弥彦送信所(出力:3kW)
  • 中継局
中継局 ch 中継局 ch 中継局 ch 中継局 ch 中継局 ch 中継局 ch
高田 25 小出 28 津南 24 相川 30 新井 45 湯沢 19
三川 43 鹿瀬 19 津川 43 大和 34 村上 25 津南田中 19
津南上郷 18 糸魚川大野 18 両津 31 高千 17 外海府 24 妙高高原 45

県外での受信について

山形県では、1993年の山形テレビのネットチェンジから1997年のさくらんぼテレビ開局までフジテレビ系列が見られない時期があったため、現在も山形県庄内地方の一部などでNSTを受信している世帯がある。 また、鶴岡市温海町地区には、NSTと同じフジテレビ系列のさくらんぼテレビジョンの中継局が設置されておらず、多くの世帯でNSTの放送(弥彦送信所)を受信している。 富山県朝日町、入善町の一部は新潟テレビ21が受信している家庭があるため、そのためテレビ新潟と新潟総合テレビが視聴されている、同地域はカーテレビでも受信できるが富山市になると富山テレビ(34ch)が10kWで送信されるため、新潟総合テレビの受信が難しくなる。夏季には、UHF帯における異常伝搬現象「ダクト」により、高岡市の太田地区や氷見市、秋田県沿岸地域等でも受信できる。

沿革

  • 1967年11月1日 予備免許取得。
  • 1968年3月2日 NST 新潟総合テレビ設立。
  • 1968年10月頃 NST 長岡放送センター完成。(屋根に取り付けられた大きなNSTの看板が印象的な建物であった)
  • 1968年11月7日 放送試験電波発射。(マスターは松下製(1981年6月下旬の音声多重放送開始に伴う更改まで使われ続けた)、送信機は東芝製だったようである。)
  • 1968年11月29日 本放送免許取得。サービス放送を開始(カラー放送も同時に開始)。それを開始した29日に、日本テレビからの同時ネットで、地元三条市出身のジャイアント馬場が出場する「プロレスリング中継」がカラーで放送され、これが脚光を浴びることとなる。
  • 1968年12月1日 地元の唯一の新聞紙新潟日報に、同局の番組表が初めて載る。[3]
  • 1968年12月16日 FNNNNNNET-朝日テレビニュース3系列のトリプルネット局として開局。この日より、平日の朝の放送を開始。これに伴い、フジテレビの朝の看板番組「小川宏ショー」の同時ネットを開始する(1981年3月31日まで)。
  • 1969年10月1日 FNS発足と同時に加盟。
  • 1970年1月 ANN発足と同時に加盟。
  • 1970年9月 松下製の番組自動送り出し装置(APC)稼動
  • 1972年4月 カラー中継車導入
  • 1972年10月 ウィークディーが全日放送になり、完全全日放送化完了。
  • 1972年11月 レギュラー情報番組「エンドランサタデー」スタート
  • 1972年12月26日 アンペックス社製のハイバンド方式による放送業務用2インチカラーVTR(アンペックス方式)を導入、稼動開始。(同VTRは1983年頃まで運用された。)
  • 1975年3月31日 腸捻転解消に伴い毎日放送制作の番組が新潟放送へ移行。朝日放送製作の番組をネットするようになる。(1983年9月30日まで続く。)
  • 1977年頃 アンペックス社製1インチVTR導入、運用開始。
  • 1980年3月 アンペックス社製のCMバンク稼動開始(尚、同システムの本格稼動の開始は、翌年3月頃からとなる)。
  • 1980年4月 デイリーのレギュラー情報番組「NSTですこんにちは」放送開始
  • 1980年9月 FM放送の開設を申請。しかし、後に却下された。
  • 1981年4月1日 テレビ新潟開局に伴いNNNを脱退。FNN,ANNのクロスネット局となる。また、地元ニュースをワイドに伝える「NSTワイド630」がスタートする(同局初のワイドニュース番組 1984年9月打ち切り)。更に、CM送出にアンペックス社製1インチVTRを2台採用し、CM送出の効率化を図る。 
  • 1981年6月下旬 音声多重放送免許。これに伴い、新しい主調整設備(松下製)に更改、稼動開始。翌月の7月1日より同放送を開始(最初の番組は、朝日放送(大阪)からの阪神巨人戦のステレオ放送だった)。
  • 1981年7月27、28日 高校野球県大会の準決勝、決勝の模様を長岡市悠久山野球場から、同局ローカル番組初のステレオ(生中継)で放送。
  • 1983年4月 ローカルの天気予報の一部時間帯がステレオ化される。[4]
  • 1983年4月頃 番組送出用VTRに、日立製1インチVTRを導入、稼動開始。[5]
  • 1983年10月1日 新潟テレビ21開局に伴いANNを脱退。FNN系列のフルネット局となる。それと同時に、これまで新潟県でネットされていなかった「笑っていいとも!」がネット開始(フジテレビと同時[6])。新潟県本社あるブルボン提供となった(現在でも提供)。
  • 1989年7月 フジネットワークの衛星利用放送システム(F-SAT)運用開始
  • 1991年10月 新潟・長岡放送センター(演奏所設備)が新潟(上所)に移転統合。これに伴い、新潟に新しい運用設備が稼動開始。新しい主調整設備はNEC製。更に、CM、一部の音声送出用に書き換え可能の光磁気ディスクを採用する。
  • 1992年4月 衛星利用ニュース中継システム(SNG)運用開始。
  • 1997年10月 字幕放送開始。
  • 2000年1月 今までTBS系列局であるBSN新潟放送で放送されていたフジテレビの「スーパー競馬」がようやくNSTに移行される。
  • 2001年3月 放送データ作成システム及びCMバンク更新。
  • 2001年10月6日スマイルスタジアムNST」スタート。
  • 2002年4月1日 CIの一環として、ロゴ変更。
  • 2004年10月20日 ハイビジョン放送に対応した新社屋(市内八千代2·旧新潟鉄道管理局グラウンド跡)に移転。同日午前5時30分から本格運用開始。新しいスタジオ(スタジオSWITCH(100坪))もハイビジョン対応になる。但し、ハイビジョン用中継設備機器は未導入。新しい通常(NTSC)アナログ放送主調整室のマスター設備(APC)は東芝製)。
  • 2004年10月23日 新社屋移転後の初イベントとして「NSTまつり」を開催(この取材が、同局初のハイビジョン取材となる)。又、同日の「スマイルスタジアムNST」も特別スペシャルを組む予定だったが、生本番直前の17時56分に新潟県中越地震が発生し[7]、災害報道に切り替えられ、NSTまつりも24日は中止となる。なお、地震直後の初期報道が他局に比べ遅れたために、非難の声も上がった[8]
  • 2005年10月1日 地上波デジタル放送試験電波発射(弥彦山送信所。出力30W。デジタル放送マスター設備及び送信機共東芝製。更に、デジタル放送の番組送出媒体として、VTRをそのまま使わずハード・ディスク・レコーダーを使用。)
  • 2005年10月25日 地上波デジタル放送の試験放送開始(弥彦送信所のみ。出力3KW)。
  • 2006年2月27日 地上波デジタル放送のサイマル試験サービス放送開始(データ試験放送、ワンセグ試験放送も同時開始)。これを期に、ローカルニュースを含めローカル番組のほとんどがハイビジョン化される。(尚、同時ネットによるハイビジョン放送はフジテレビ系列の番組のみで、テレビ東京の番組で同時ネットをしている「レディス4」については、ハイビジョン化されなかった。[9]
  • 2006年4月1日 午前4時40分、地上波デジタル本放送開始(UHF19ch、出力3kw 、コールサインJONH-DTV,チャンネルはリモコンキーID8)。同時にワンセグの本放送も開始。これに伴い、20時のNSTニュースNSTゴールデンニュース・ニュース・放送開始前後に放送される天気の各OP/EDと放送開始・終了時のOP/EDをハイビジョン化させ、デジタル放送対応にした。デジタル放送開始記念番組として、「はっしん! デジタル2006」(NHK新潟放送局、BSNとの共同製作番組)、シリーズ「ふるさと新潟の童謡(うた)」等のハイビジョン番組が放送された。
  • 2006年4月15日 ローカル番組で、新潟ビックスワンからJ1リーグ「アルビレックス新潟VS名古屋グランパスエイト」の模様をハイビジョンで生中継する。[10]
  • 2008年5月3日 JRA新潟開催時に於けるローカル番組「NSTみんなのケイバ」の新潟ローカル部分がハイビジョン化される[11]

ニュースネットワークの移り変わり

オープニング/クロージング紹介

  • 現行・「海と日の出」【OP】「海と月」【ED】バージョン(2006年4月~現在)
    • いずれもステレオで、ハイビジョン収録のCG映像。オープニングは海から上り出る太陽と流れ行く雲、エンディングは月明かりに照らされた海の上を流れ行く雲。いずれも「新潟総合テレビ」「JONH-TV」「JONH-DTV」のロゴが次々と表れ、最後に「NST NIIGATA SOGO TELEVISION」の社ロゴが表示される。アナログ・デジタルで共用している。
    • オープニング曲は、アルバム「THE VERSATILE VOICE」より「L'Oiseau Bleu」、クロージング曲は、アルバム「BITE SIZE」より「Beautiful Day」である。
    • 放送されている曲は30秒の「ショートバージョン」であり、アルバムには60秒の「ロングバージョン」や「サウンドトラック」バージョンが納められている。なお、発行元である「KPM MUSIC」のサイトで、試聴することが可能である。
  • 5代目「もっと、いい夢。」八千代社屋バージョン【OP】(2004年10月~2006年3月)
    • 現本社移転後、このオープニングが制作された。本社周辺の風景や社内の設備や機器を紹介している(BGM:Fields and Hedgerows/Johnny pearson)。事実上オープニングとして放送開始時に使用していたが、コールサインや周波数・出力などの技術情報は全く入らず、むしろ新社屋のPRというきらいがある。
    • 地上波デジタル放送のサイマル放送のOPにも使用されていた(2006年2月~3月31日)。
  • 4代目「もっと、いい夢。」空飛ぶ少年バージョン【OP・ED兼用】(OPでの使用:2002年4月~2004年10月・EDでの使用:2002年4月~2006年3月)
    • 林の中を駆け抜ける少年と犬の映像から始まる。林を抜けたところで少年は突如空へと飛び立ち、弥彦山と「はざ木」の上空を旋回しながら(この映像をバックに弥彦送信所の周波数・出力と中継局数を表示)、新潟市内上空へと飛んでゆく(この映像をバックに「JONH-TV 新潟総合テレビ」の社ロゴを表示)。最後に「もっと、いい夢。」のキャッチフレーズと共に「NST」の社ロゴが表示される。
    • 新潟市上所の旧本社(1991年10月に放送所が新潟に移動してNEC製のマスターになってから)では、東京等からのアナログ・マイクロ回線を通して入る番組と、ローカル送出番組での技術的な違和感を無くすため、ローカルでの送出では音声をイコライジング処理して音質を故意に劣化させる処置をとっていた。しかし、同市八千代の現本社に移転した際に導入したアナログ放送用マスターは映像・音声共に全てデジタル信号で処理するようになっており、前述のイコライジング処理を行う必要がなくなった。このため、旧本社の時のものと現本社移転後のものとでは音質が微妙に異なっている。
    • 地上波デジタル放送のサイマル試験放送でも流されていたが、コールサインのテロップには手を加えないまま使用された(2006年2月~3月31日)。
  • 3代目 旧ロゴ最終バージョン(90年代前半~2002年3月)
    • オープニングは、弥彦送信所をモチーフにしたイラストをバックに「JONH-TV」のロゴが映し出され、続いて「NST 新潟総合テレビ」の社ロゴと弥彦送信所の周波数・出力が表示される。続いて新潟県の地図をバックに各中継局のチャンネルが表示され、最後に白バックを背景に「NST 新潟総合テレビ」の社ロゴが再び表示される、30秒間の映像。
    • エンディングは、弥彦送信所のイラストをバックにコールサイン、社ロゴ、弥彦送信所の周波数・出力が表示され、「今夜もNSTの放送をご覧頂き、ありがとうございました。本日の放送はこれで終了致します。JONH-TV」とナレーションが入る(ナレーションなしのバージョンもあった)。
    • 尚、CI導入前にはOPをEDとして使用していた時期があった。NSTのカラーバーは、右下の黒地の部分に「NST」と入ったものと、右上にテロップで「新潟 NST JONH-TV」と入ったものがあったが、CI導入前にはこれら社ロゴの表示を取りやめていた。なお、「つまらない」という人も中にはいた。
  • 2代目+α「子供とお年寄り」バージョン(1991年10月~90年代前半)
    • 弥彦送信所のアンテナや上所社屋の鉄塔・パラボナアンテナなど4つの写真の上に新潟県の形のCGから電波をなし続け、その目の前に様々な年代の新潟県民の顔を写した映像がスライドインし、最後に局名と技術情報が載る。技術情報はこのころから周波数・出力ともに載るようになった。
    • BGMはNST県民茶会の告知CMで使われていたものを引用。このBGMは3代目でも使われることになる。尚オープニングでは、EDのロングバージョンで多少異なるものを使用。
  • 初代 通称「サイケアニメ」バージョン(サービス放送開始1968年11月1991年9月
    • 全篇イラスト。目・耳・口、そしてストップウォッチを押す画の後、花々と男女、働く人々、港、工場の画が次々とフラッシュしてゆく。そして新潟県の画をバックに「JONH-TV」、「新潟総合テレビ」のロゴが映し出され、モザイク模様をバックに「NST」のロゴ、最後に「35ch 弥彦送信所、中継局43局」のテロップが表示される。以上、セル画製作フィルム収録による60秒間の映像。エンディングは30秒間で、映像構成が一部異なる。映像は全体を通して紫色、朱色、オレンジ色など原色系をふんだんに使用しており、これが後に「サイケ」の通称で呼ばれるようになった。ナレーションは無く、詳細な技術情報も表示されなかった。
    • 1986年までは全中継局とチャンネルを表記していたが、末期は「35ch 弥彦送信所、中継局42(43)局」のみに。
    • 長期間に亘って使用され続けていたが、リニューアルは全く行われず、画質・音質とも経年劣化していた。その上、目・耳・口のイラストのディテールが余りにも奇異だったことから、この映像に畏怖の念を抱く視聴者も多く、中部日本放送の「今様ED」や中国放送の「呪いのハープED」、富山テレビ放送の「噴水ED」、南海放送の「星空ピアノ」、福岡放送の「自殺のキャンドル」(どれも通称)などと並んで、怖いOP/EDとして放送マニアの中で有名になった。
    • 2007年5月26日放送の自社製作番組「第55回全広連新潟大会開催記念 CMで見えるテレビの今昔」(13:30~14:25)の冒頭で約16年ぶりに登場。フィルム特有の傷や劣化は見られず非常にクリアな映像だったため、23年間使用されたフィルムではなくマスターテープ、または修復されたものだと推測される。
    • また、クロージングの前には、越後獅子の人形が立っている静止画をバックに翌日の番組紹介や啓蒙メッセージが流された後、テロップで「火の元 戸締りを もう一度 確かめましょう」と表示された画面が登場する。そして「火の元、戸締りには気をつけて。」というアナウンスのあと、テロップが「おやすみなさい NST」に切り替わり、「おやすみなさい。」というアナウンスが入り、サイケアニメに切り替わる。

自社製作番組

  • この他、傘下のNSTサービスによる「新潟いい品小路」の通信販売の案内が不定期に流れる。但しスポットCM枠内であり、番組ではない。

SP番組·催事関連番組

ネット番組、過去の番組等は新潟総合テレビ番組一覧を参照。

アナウンサー

男性

女性

過去のアナウンサー

男性

女性

脚注

  1. ^ 但し、取材用のハイビジョンカメラが全部出払っている状況の時もあり、その場合は、標準画質の取材である場合も稀にある。
  2. ^ 時々、フジテレビのハイビジョン中継車が全部出払っている状況もある為に、標準画質の普通中継車を使って放送する日もある。
  3. ^ 放送開始:午後0時~。 初めの番組は、当時のNETテレビ(現:テレビ朝日)からの同時ネットで、牧伸二の司会による「大正テレビ寄席」だった。
  4. ^ CM用に使われる1インチVTRによる映像、音声がバックで字幕による予報情報が出る時の番組構成の場合のみにステレオ放送となる。この方法での天気予報番組のステレオ化は、この時既に、BSNテレビテレビ新潟でも行われていた。(ちなみにBSNテレビでは、天気予報のほぼ全時間帯がステレオ放送だった)
  5. ^ これにより、新潟民放全局の1インチ番組送出用VTRは、全て日立製となる。後に開局する新潟テレビ21も番組送出用1インチVTRは日立製を採用。
  6. ^ 当時から、この番組の一部の放映局は、編成の都合上、時差ネットを行っている局もあるが、今でもあるものの、この当時に比べて現在では時差ネットをする局は少なくなった
  7. ^ 地震発生時、同局は「NSTスーパータイム」のローカルニュース枠の放送で、新社屋4階のニューススタジオでフリーアナウンサーの菊野麻子が天気予報を読み終える直前だった
  8. ^ フジテレビの『ミュージックフェア』がネットされていないこと、18:30~19:00枠がローカル枠だったことが影響している。
  9. ^ 同番組はテレビ東京がこの時点で既にハイビジョン放送をしているのにも拘わらず、NST側で同局のハイビジョン・デジタル・ネット回線の受け入れ体制が整っていなかったため、アナログ放送用の回線をアップコンバートして4:3の額縁放送の処置をとっている。但し、同じテレビ東京の番組でも、ビデオ送りの番組については、この限りではない。例えば、「いい旅・夢気分」、「開運!なんでも鑑定団」等は、サイマル試験放送開始当初からハイビジョン放送だった。
  10. ^ この時のハイビジョン中継機材はほとんどレンタルだったが、レンタル料金が余りにも高価な為、その後約2年間はローカル番組に於いてのハイビジョン中継機材のレンタル及び使用は自粛される。
  11. ^ 新潟競馬場からの中継時のハイビジョン中継車はフジテレビが貸与する

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注:新潟・長野・山梨のNHKは東京管轄、他は名古屋管轄。
()内はクロスネット副局。
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